博士論文を提出して審査会を終えたゼミの同期の慰労会で、雲南料理を食べに行った。ゼミの先生はもうすぐ定年退職される予定で、新規の学生はとっていないので、博論提出を控えるのは残り3人となっている。私もその中の一人だ。
全て終わってスッキリした顔の同期を見ていると、私も早くなんとかしたいと焦る気持ちや、終わるだろうかという不安な気持ち、次のステージに進めるのが羨ましいなあという気持ち、すごいなあ、偉いなあという尊敬の念、そういう様々な気持ちが湧いてくる。
そうやって感情がかき乱されるのは良いことだと思う。生きている実感があるよなあ。特に私は追い込まれてヒリヒリしないと腹が決まらないような性格でもあるから、こういう機会は必要なのだ。それにしても仕事して生活を維持しながらいかに論文を書き上げるか、悩ましい課題だなあと思うけれど。
雲南料理は、その名の通り雲南地方の郷土料理だ。雲南について私は全く知識がなかったのだけど、ゼミの皆さんはよく知っているようで、その知識格差に私はドギマギした。以前から自分の知識は偏っていると思っているのだけど、今回もその差を目の当たりにしてしまう。もっと世の中について学ばなくては…。
教えてもらったところによると、どうやら雲南はキノコが名物らしい。辛いものも多かったけれど、四川料理のような、油に辛さが染み出していて赤唐辛子を避けても辛い、みたいなタイプの料理はなく、全てほどよい辛さだった。
ただ、この店は日本語のわかる店員さんが限られているらしく、店が混んでくると日本語で注文をとりに来てくれる回数が激減する。確かにお客さんも中国語を話す人が多いようだった。幸いにも私たちゼミ生の中には中国語の話せる人が複数いたので困ることはなかったのだけど、中国語のわからない人だけでここに行くなら、ボディランゲージなどノンバーバルなコミュニケーションスキルが求められることになる。それはそれで現地感があってとても楽しそうだなあと思う。
横のテーブルはずっと商談をしていたらしい。豪勢な鍋を囲んでみんなでわいわい食べていると思ったら、急に静かになり、難しい顔で何かを話し合い、そしてまた賑やかになって乾杯が始まる、など、文化人類学徒の集まりである私たちゼミ生はその様子を興味深く観察していた。
基本的に、文化人類学徒というのは変な人間だと思う。人の生活に興味津々で、人類が愛おしかったり、その人類の創り上げてきた文化や生活が愛おしかったりする私たちは、ナルシストもいいところだ。私たちだってその「人類」の一部なのだから。でも、そういう趣向の人としかわかりあえない”何か”が時々ある。そういう人たちと話をすることで救われる”何か”が、私の中にある。言語化するなら「博愛なるもの」「人に対する愛情」…言葉にすると薄っぺらく聞こえてしまうものが、同じ文化人類学ゼミ生との会話の中ではぐっと質量を増して、確かに存在していることを感じられるときがある。
和やかに乾杯が交わされるテーブルの隣で、商談まとまって良かったねえと安堵したり商談の形式に興味を持ったりするゼミの同期や先輩や後輩たち。この人たちに出会えて良かったし、文化人類学に出会えて良かった。そんな感謝を改めて覚えた夜だった。


