0609.Tue
ロックな日、勤務中に荒れ狂う。前任者がだいぶズボラだったことは薄々わかっていたのだけど、過去の雑誌製本がめちゃくちゃで頭を抱えてしまった。なんでもかんでも前例踏襲は良くないけれど、前例を無視して我が道を進まれても(そして引継ぎされないと)困る。
とはいえクーポンをもらって無料でコーヒーをいただけたり、上司がフォローしてくれたり、飲み屋に行ったらサメのおっきなぬいぐるみを貰ったり、いつもお世話になってる店主から温かい言葉をかけてもらったり、なんだかんだで周囲の優しさに恵まれた日だった。
0610.Wed
明け方まで飲んでお昼頃に起床。清掃の仕事が水曜から木曜に移ってくれて本当に楽になった。好物の明太子パスタをランチに食べ、夜ごはんのお弁当を作って出勤。仕事が終わったら夜のカフェでペルシア語をひたすら勉強する。なんだか達成感があった。夜の街をうきうきと帰宅。
エモさの根源にあるもの、それは「ねじれと諦め」なんじゃないかと思った。あの頃に戻りたいと思いながら戻れないことを知っている。変わらないでほしいと願いながらすべて変わっていくことを理解している。子供でいたいと思いながら、大人になることを受け入れている。諦観の念。ずっと抵抗していた概念で、その言葉を聞くたびに悲しくなったり腹が立ったりしていたけれど、最近はだいぶ素直に受け止められるようになった。諦念でもって時の流れに身を任せ、それでも記憶は勝手にやってきて、その記憶に付随して懐かしさや愛しさがこみ上げる。すべてあるがままに、Let it beだ。それは「ありのままが一番!」と肯定する意味ではなく、「ありのままでしかありえない」という諦め。私は酒を飲んで楽しそうにしている姿を目撃されることが多いからか、陽気な人間と思われている節があるけれど、深い付き合いの人からは「あんたは根が暗い」と言われている。陽気さも陰気さも両方私のなかにあるけれど、どちらかと言えば陰気が多めだと自分でも思う。でも、陰気というよりも、単純に「ねじれと諦め」が好きなだけかもしれない、と最近思い始めた。矛盾を愛し、ねじれを愛し、葛藤を愛し、混沌を愛し、そしてその愛する感覚に苦しめられている自分のこの性を諦めて愛している。それだけのこと。
0611.Thu
2時頃までゲームをやってから寝て、ぼんやりと起床。良い日だ。
バイトの後、横浜へ向かう。ここ数か月取り組んでいたインドツアーのガイド本が完成して、その打ち上げ。無事に刷り上がっていてよかった。Canvaでデザインの起こしだけでなく、初めて完成版の紙面まで作成し、入稿をしたのだけれど、グラフィックのシステムではPDF入稿時にエラーがでて急遽PNGで入れたのだ。刷り上がりの予想がつかなくて不安だった。蓋を開けてみれば、さすがプロの印刷会社さま、なんとか製品として使えるものが出来上がっていて嬉しかった。クライアントさんと中華を食べつついろんな話で盛り上がる。ほんとに環境や人に恵まれていてありがたい。
0612.Fri
ニシヘヒガシヘと忙しかった。突然の通り雨を某宅の室内から眺める。雨上がりの庭は光が美しく、穏やかな時間が流れていた。それを良いことのように思う私と、寂しく切なく思う自分の、両方の心がある。そんなことを思いつつ飲む夜だった。「これはゆるやかな不幸なのか」となんとなく口にした私に、「ゆるやかな不幸だとは思えない」と返してくれた、その言葉に救われた。
いつもそうだ。ふと頭に浮かぶ黒い靄のような感覚、「あんたは根が暗い」と言われる部分、明確に言語に落とし込めないドリーミーな話でも、想像力をだいぶ働かせて受け取ってくれる、ちゃんと伝わる人が近くにいてくれている。私は西荻窪に住んで本当に良かったと思う。この町に出会えて良かった。

