匂いや味というものは記憶と深く結びついている。視覚や聴覚よりも、ずっと深く。
そして記憶はいつもコントロールなんかできなくて、勝手に過ぎ去るし、勝手に押しかけてくる。
まさか今ここでそれを引き金にやってくるんかい、と辟易する記憶もあれば、会いたかった情景に思わず再開して目の奥が熱くなるような、そんな記憶もある。
何かの香りを嗅いで、急に昔のことや忘れていたはずの出来事を思い出す現象を、マルセル・プルーストの小説『失われた時を求めて』にちなんで「プルースト効果」と呼ぶらしい。
あの小説の主人公が嗅いだのはマドレーヌを紅茶に浸したときの匂い(味)で、さすがフランスらしいオシャレさに満ちている。一方、私が嗅いでインドの情景を思い出す匂いとは、生ゴミの腐敗臭や公衆トイレのアンモニア臭だ。スパイスの香りだとか素敵な女性の香水だとか、もっと美しい記憶に結びつきそうな香りはたくさんあるはずなのに、どうしてもゴミや小便の匂いがフックになっている。
さりとて別に嫌な記憶を思い出すわけではない。私の住んでいた町には、いつどうやって処理されるのか不明なゴミの堆積場があった。路地に入ればそのへんで男性が立ちションしている。要するに、町の生活に不快なものや猥雑なものが紛れていた、ただそれだけのことなのだ。ハレとケだったり、陰と陽だったり、だいたいの物事は二極でバランスをとりながら存在しているように思う。町の生活も同じことで、浄と不浄や整然さと猥雑さの両面が器用にバランスを保ってそこにあった。
日本は中野で清掃のバイトをしながら、甘く腐ったようなゴミの香りを嗅いだ瞬間、私はデリー西部の町ティラク・ヴィハールのゴミ堆積場の前にいる。太陽の熱もあって腐敗臭はむせ返るよう、頭がくらくらする。ハエもたくさん飛んでいる。あのハエは公園のベンチに寝ていた男性の唇にまでたかっていた、でも彼は生きていたのか死んでいたのか、声をかけなかったのでわからない。どうして声をかけなかったんだっけ。怖かったから。それに急いでいた。そうだ、大家さんから夕飯に使うベースン(ひよこ豆粉)を買ってくるよう頼まれていた。それならきっと夕飯はパコラ入りのカリー(ヨーグルトの酸味のあるカレー)に違いない…。
あるいは西荻窪の“しょんべん横丁”のトイレ前を通る瞬間、ふわっと記憶がやってくる。馴染みの開業医のところまで近道しようと路地に入ると、こちらに背を向けて用を足す男性が二人。そこは定番の立ちションスポットになっているようだった。濃いアンモニア臭。こちとら体調不良だってのに。呼吸を止めて路地裏を抜ける、と、安定食屋サドグルが今日も店先で美味しそうなマサラを炒めている。並びの診療所に入り、パンチョリ先生の診察を受けた。先生は、風邪がお腹にきてしまったんでしょう、しばらく冷たいもの、酸っぱいものは食べちゃダメですよ、と言ったあと、「ラッシー飲みますか?」と小間使いの青年にラッシーをオーダーした。先生、それは冷たくて酸っぱいものではないのですか?と尋ねると、「ここのラッシーは新鮮なものだから大丈夫です」と。やがて先生に太鼓判を押されたラッシーを持って青年が戻ってくる。そういえば、私は彼の名前を知らない。
ゴミ箱から、トイレから、かつて暮らした町の記憶が数珠つなぎにやってくる。どうしてこんなにも、あの町での生活の記憶は薄れないのだろう。薄れない、だけどいつでも覚えているわけじゃない。思い出そうとしても思い出せない、それなのに、ふとした拍子に細やかな出来事や会話が鮮明に蘇る。
私の周囲にはインドにつながる穴が潜んでいて、足を滑らせるといつでもその穴からデリーに行ってしまう、そんなイメージをかつては持っていた。だけど匂いが主な記憶のフックになっていると理解したときから、私を包んでいる空気にデリーの町の気配が混ざりこんでいるのだと思うようになった。
赤提灯や古い暖簾のかかる飲み屋街を徘徊しながら、町の匂いを嗅いだ瞬間、私はデリーに立っている。私はいつでもデリーの空気を連れている。


