一日のいろんなお仕事や作業を終えて、いや、正確には終えられていないのだけど放り投げて、夕飯を用意してTVerを立ち上げた、ら、好きな芸人が今まさに賞レースのトリとして出番を迎えたところだった。
芸人やバンドマンやカメラマンや舞台俳優や詩人や小説家などなど表現することで飯を食おうとしている人たちが、売れるためのきっかけを掴む(掴もうとする)その瞬間を目撃すると、条件反射的に胸がぐわーーっとなって鼻がつーーーんとしてしまう。私がお笑い好きだからというのもあるけれど、M-1やThe Secondなどは見ていると危うく泣きそうになる、というかときどき泣いている。こういうお笑いレースは小説の新人賞などと比べて選考過程が比較的オープンだから、推している芸人とまるで二人三脚のような感覚を味わいながら視聴できるのも面白い。
M-1のワイルドカード枠やThe Secondのように文芸雑誌の新人賞や芥川・直木賞も読者投票とかトーナメント戦とかあったら面白いかも、と思ったけれどそれはそれで悲惨なことになるかもしれない。
お笑いと文学は分量(時間)が違う、でもそれだけなら何か方法を考えたらできそうな気がする。なのに直感的に「読者審査は無理だろ」「違いすぎるだろ」と思ってしまう、ならばどのへんがどう違うのか。時間がある時にゆっくり考えよう(と思いながら私の脳みそはメモリが少ないので、毎日押し寄せる目の前のタスクに押し流されてこういう個人的に興味のある疑問が消えていく。悲しい)。
閑話休題、今回の賞レースは関西で歴史ある「上方漫才大賞」で、大賞自体は事前審査で決められているのだけど、その新人賞と奨励賞は当日の漫才の出来で優勝が決まる。
そのトリで出てきた「金属バット」というコンビを私は応援していた。ファン歴が特別長いわけではないし、いつから好きになったのかはっきりとは覚えてないけれど、笑い飯・西田さんのファンである私は彼とよく飲んでいるという金属バット・友保さんのことも自然と応援するようになっていた。相方の小林さんとのラジオも面白くて、マヂカルラブリーのANN0に並んでよく聞いている。(そしてもちろん友保さんもロン毛である。ロン毛はいいぞ)
金属バットやM-1優勝前のマヂカルラブリーなど、いわゆる「地下芸人」「アングラ」「アウトロー」と称されるような芸人が特に好きなのは、サブカル好きだった高校生の頃の私の心が疼いているからかもしれない。笑い飯が好きなのも、初期の彼らの型破りで尖りまくってた頃の漫才が高校生の私にぶっ刺さって消えない傷跡を残したからで、あれから円熟味を増して優しいおじさんたちになった今の笑い飯でも、くだらないことを延々としつこいくらいボケ倒す漫才にあの頃の空気を思い出す。
これを書きながら思ったけれど、私は笑い飯やマヂカルラブリーや金属バットのまとう「空気」が好きなのかもしれない。我が道を行く、自分を信じている、周囲を意に介さない、だけど苦労しているぶん弱者に対して優しい…みたいな、言語化すると少しズレる何とも言えない空気。漫才は彼らの世界観の発現で、要するに彼らのまとう空気を一番濃く感じられる瞬間なのだ。好きにならないわけがない。
夕飯を食べるのも忘れて見守ったこの大舞台で金属バットはぶっちぎりの高得点を叩き出し、奨励賞を受賞した。芸歴19年目にして初のタイトル獲得。ずっと「単価を上げてくれ」と茶化しながら訴えていた二人が、会場の大きな拍手に包まれている。いつもより綺麗な髪といつも身につけていないネクタイを結んだ友保さんがぴょんぴょん飛び跳ねている映像を見て、私はぼろぼろ泣いた。

