休みの前日は夜更かしをあえてしたい。昨日も夜中まで3DSの牧場物語をやり、3時頃に寝落ちした。そのまま目が覚めるまで寝て、起きたら昼を過ぎるころ。良い休日だ。のびのびと惰眠を貪る。
ゲーム、本、音楽、映画、写真、執筆、散歩、インド、語学や勉強、猫、麻雀、お笑い、ラジオ、酒、料理、美味しい食べ物、カフェ、ぼんやりする時間、人との交流。
私の好きなものたち。これらが私の日々の生活を構成している。
見てわかるとおり、私には好きなものがありすぎる。そして衝動的というか、堪え性がない人間で、好きなことを好きなだけ楽しみ尽くしたいという、欲にまみれた人間でもある。
だけど残念ながら1日24時間という制限と、寝ないと体がもたない平均的人間の特徴を有しているので、好きなことをやるには嫌いなものを辞めるしか選択肢がなかった。
こうして嫌いなものが人生から削ぎ落されていった結果、まず真っ先に「通勤電車に乗る」が削れた。混雑した電車に乗りたくないがために会社員を辞めたようなものだ。「オフィス・都会に働きに出る」も毎日は嫌だなと思っていたら、週2~3日に落ち着いた。基本は家で働いて、ときどき用意されたオフィスやカフェで働いている。出勤する場所は散歩がてら行けるような所がいい(2時間くらいなら散歩の範疇だ)。
興味ない仕事には挙手しなくなった。仕事の本数も稼ぎもかなり減ってしまったけれど、生活できるくらいのお金はなんとか頂けているのでありがたい。嬉しいのは時間があることで、ごろごろしながらラジオ聞いたり本を読んだりゲームしたり、夜中にふと思い立って飲みに行ったり。そんな感じで、現在の生活は理想からまだ遠いけれど、概ね満足している。
「削ぎ落した」と言うと能動的でカッコいいけど、実際は興味のないことや嫌なことがトコトンできなくて失われていっただけなのだ。とにかく堪え性がなく、興味のないことは面倒くさいと感じる。それでも好奇心旺盛なので、スポット的にやってみることはあるけれど、何か月や何年も面倒で嫌なものを継続することができない。
以前、坂口恭平が『継続するコツ』という本を出していて読んだことがあるけれど、あれも「やりたいことを続けるコツ」の話で、結局やりたくないことを続けるコツについては書かれていなかった。なので、もうお手上げ。面倒な仕事はつい後回しにしてしまい、仕事の発注がこなくなったこともある。学生生活や会社員生活も、「面倒なことができない」という性格で何度もピンチに陥った。
例えば、私は契約書や事務手続き関連の書類が読めない。
面倒くさくてそもそも読む気になれないけれど、頑張って読んでも頭に全く入らない。
大学生のときはガイダンスで配られた資料を読めなくて(読んでも頭に入らなくて)、必要単位が毎年足りず(出席してテストも受けたのに登録ミスしてたり必要な単位じゃなかったり)、4年目になっても学校にほぼ毎日行かなくてはいけなかった。講義を聞くのは楽しかったけれど、「数打てば当たる」の戦略で面白そうな授業を片っ端から受けても卒業単位が足りないという謎には参った。ぎりぎりの状況のなか、周囲の助けもあってなんとか卒業できたのだ(クラスメイトが私の履修登録を確認して必要な授業をセットしてくれた)。ちなみに卒論の提出方法も間違えていて、教務課で絶望していたら、学生課に就職した先輩が助けてくれてなんとかなった。
大学院でも会社に入ってからもそんな調子で、「ごめんなさい、本当にすみません、助けてください」を繰り返して生きている。悲しいかな、会社退職後の年金手続きは完遂できず、会社員時代に給料から天引きされて積み立てられていた個人年金や財形貯蓄はすべて失われてしまった。説明書きを読んで理解する、という行為が本当に苦手で、面倒くさくて、嫌いで、できない。
難解な文章全般が読めないわけではなくて、例えば学術書を読もうと思えるのは、それが興味のある内容だからだと思う。加えて、論文や一般的な本の文章には起承転結や論理の展開があるので読みやすい。契約書やマニュアルのような起承転結のない文章、ざっくりいえば「読んでいて盛り上がりを感じない文書」は、我慢して目を通しても読んだそばから忘れていく。(なお、本当に大切な文書や契約書は音読して記憶するように努めている)
こんな具合にポンコツなので、文句や愚痴を言いながらでも面倒なことや嫌なことができている人の器用さとタフネスさには平伏するし、そういう人のおかげで世の中がまわっている部分もあるから、ありがたいなと思う。それは、一つの能力や才能なんだと思う。私には我慢してやりたくないことをやり続ける才能や能力がない。無理矢理にでも続けようとすると鬱になって布団から起き上がれなくなってしまう。
友達へのプレゼントや趣味に使うお金を「ちょっと厳しいな」と躊躇するようなときは、あのとき我慢して会社員を続けていたらもっと安定的にお金を稼いで使えたのにな、と考えたりもする。我慢がきく体だったら良かったのに、と無いものねだりをしてしまう。
正直、今のところの人生の収支は大損だ。金銭面とか信頼度とか社会的な見られ方とか。履歴書に書けない空白の時間で研究職の公募は落とされる。けどまあ、それも私だ。仕方ない。私はこのポンコツな体とこの生活を愛してしまったから、もう戻れないことを知っている。
だからもう、私は私にできること=好きなことをやるしかない。そこに自分の存在を賭けるしかない。結構ギリギリの生活で、ギリギリの人生で、このままなんとなく終わっていく予感がそこはかとなくする線の上で、好きでやりたいと思うことに生存を賭けるしかないのは、ギャンブラーの生き方だ。こんな生き方、推奨はできない。
それでも、そうやって生きることを選ぶ人には、心からエールを送りたい。
堪え性がある人と同じくらい、堪え性のない人生を貫き通している人にも平伏する。
THE SECONDでの金属バット、3本目のネタは衝撃だった。SNSでは「あえて優勝を捨てた」「テレビに出たくない芸人だから優勝をおりた」とも囁かれている。ご両人が本心を公に語ることは滅多にないから、3本目のあのネタを賞レースの優勝を争う大一番で披露した本当の理由はずっとわからないままだろう。
だからここから先の文章は私の妄想なのだけど、彼らは、自分たちのやってみたいこと、面白そうと思ったことを素直にやってみただけなんじゃないか、と思った。それで優勝したら御の字だし、優勝しなくても「やりたいことをやった」という感覚は残る。受けるかスベるかの二択しかない大ボケ1つのネタで勝負することにワクワクしてしまったんじゃないのか、と思った。
「劇場単価を上げたいから賞レースに出て勝ちたいが、面倒くさいからテレビには出たくない」
「ファンミーティングしたくないと会社に言ったが聞き入れられずブッキングされたからぶっちする」
そんなエピソードがごまんと出てくる金属バットの二人だ。
自分たちのやりたいこと・やりたくないことに正直で、不器用で、そのせいで苦労もして、だけど忙しくなるよりマシだとへらへらしている彼らにたまらなく魅了されるのは、私もその生き方に共感しているからかもしれない。
そんなことを、しかし何者でもない今の私が盛り上がって熱く語ったところでなんでもない。
やりたくない仕事を無理してこなして寝込むことが今もまだある私には、あのご両人の立ち居振る舞いが遠く見える。がっつりギャンブラーになるしかないのだと、とっとと腹を括ろう。やりたいことをもっとやれるように、そのための努力なら惜しまないように。

