8月②/急な予定変更と映画

今週初めに突然飛び込んできた連絡でドタバタしている。
いろんな予定を急遽変更し、とは言いつつも変更したくない予定はなんとか死守し、精神的なプレッシャーとかいろんなものと戦いつつ、とは言いつつ畳でごろごろする夜もあったりするわけだけど、そんな日々を過ごしてます。

電車などの移動中は、資格取得の勉強もあって本を読んでいることが増えて、気づいたらSNSやこの日記の投稿もおろそかになっているなあ。でもよく考えたら別にインフルエンサーみたいなSNSを職業にしている人間でもないのだし、後回しにしてもいいものなんだよね。たぶんフラストレーションがたまっているのは、書きたいと思う事柄が日々たくさんあるのに、書くための時間を作れないことだと思う。私はまだまだ文章のプロと呼べるような者ではないから、エッセイを書くならそれなりに集中してまとめて書く時間が欲しい。その時間が細切れにしか存在していないことが苦痛なのかもしれない。

最近、目黒シネマという名画座で映画を見た。『アカルイミライ』と『青い春』で、どちらも高校時代にTSUTAYAのレンタルDVDで見たことがあるけれど、大きなスクリーンで見たのは今回が初めて。あの頃は新井浩文が屋上で立ち尽くすシーンを倍速の長回しで撮っていることがどれほど凄いことなのかわかってなくて、良いシーンだなあくらいにしか思っていなかったし、アカルイミライなんて話の内容をほとんど理解してなかったと思う(今もよくわかってない部分があるけれど)。

今回改めて見て、まず思ったのは「昔見た映画をもう一度また見たい」だった。昔見た映画でも時間が経つと見る視点が変わるって本当だったんだなあ。あの頃はオダジョーのやるせなさというか、にっちもさっちもいかずに眠りの世界に逃避する姿に共感を覚えていたのに、今では藤竜也のほうに感情移入してしまって、オダジョーに言ったセリフ「君を見ているともどかしいんだ」がダイレクトに響いた。

最近は配信でばかり映画を見ていたけど、劇場で見ると音や画面の構成に迫力が出る。ああそうだやっぱ映画は良いもんだよなあ、と映画館にいることの感動みたいなものも味わいながら鑑賞できてとてもよかった。

小さなテレビで黙々と、ただ「見た」という実績を積み上げるがごとく映画を見まくっていた高校生のときの私を思い出す。何かを感じてはいたけど、それを言語化はできなかった。

今は言語化できそうなのに、ゆっくり向き合う時間がない、と言い訳して結局書いてないから、まあ変わらないか。

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