人それぞれのいろんな愛し方や愛の定義があるなかで、私にとっての「この人を愛しているなあ/愛せているなあ」と強く感じる瞬間は、相手を信頼して尊重できているなあと感じる瞬間で、それはそのまま「この人は私のことを愛してくれているなあ」と感じる瞬間にも当てはまる。
その人の生きてきた世界があること、生きてきた時間の中で培われた哲学や価値観や考え方があること。その世界や価値観を私は全て理解できないし、一生かけても恐らくわからない、ということ。
それこそが、私はその人ではなく、その人も私ではない、同じではない二人で一緒に生きているのだという事実。
この事実を心地よく受け止められるとき、私はその人のことを愛しているのだなと感じる。
愛と依存はとてもよく似ている。私は特に依存体質だからそう感じるのかもしれないけれど。
全て知りたくなる、あるいは、全て知った気になる。過去の私の人間関係やパートナーシップの構築は、いま思えば愛ではなくて依存に基づいていたと思う。「理解」は確かに愛だと思う。だけど「理解しきれない世界があるのだろう、と理解すること」もまた愛なのだ。
相手との関係に上下をつけたくなる。上に置いて過度に憧れることも、下に置いて見下すことも、その人の生きてきた時間や世界に対する尊重と信頼が少ない点で、実はコインの裏表、同じことなのだと最近気がついた。
自分の世界や価値観を大切にしながら、他人の世界や価値観も慮ること。上下ではなく対等に「理解しきれない」世界を持つ二人として並ぶこと。これが私の理想の愛。
…だとか言っても、バランスをとりながら人を愛することは、やっぱり難しい。難しくてもやってみたいと思わせる人に出会えることが、きっと「幸せ」なのだと思う。


