ぐったりと夜を過ごして眠気と共に起床。机の上に広がったままのグラスや缶ビールを見て、起床早々に疲労を感じる。仕事前夜に3時過ぎまで宅飲みして過ごすなんて久しぶりだった。缶ビールを開けたものの、飲み干す元気さえなく、ちびけたグラスともども放って寝てしまった。グラスは一度うっかり畳に倒れたが、洋服でその液体を拭いたことを思い出す。酔っていたというより、いろんなことが面倒くさくなるほどに眠かった。眠気のあまり、去っていくタクシーを見送りもせず寝室に引っ込んだ。春の夜は冬より寒い。
小学生くらいの子供が「行かないでくれ」と母に縋っている、いや、縋りたいのだけど言葉にできないでいる。言葉にすると、母も誰も悪くないのに(あるいは誰も彼もが悪いのに)彼女を責めるようになってしまう、だからただ呻くだけ。下を向いて手を握りしめながら「僕から去って行かないで」と強く願っている、そんな子供の背中を見た。
誰にも邪魔されず、ただ一緒に過ごせたらそれで良いのに、と甘やかな時間を子供は想っている。そして、そうはいかないことも知っている。その子供は早く大人になりすぎた。
雨と晴れを繰り返す本日の天気はなんだか情緒不安定。仕事への遅刻ギリギリの時間に起きてしまったせいで、昨日干した洗濯物を取り込む余裕がなかった。ずぶ濡れになっているだろうシーツたちのことを考えながら街に降り立つと、虹。街の人たちがみな立ち止まって写真を撮っていて、それはそれは平和な光景だった。
虹が消えてしまう前に見てほしい、と最初に思い浮かんだ顔は数年前からずっと同じ。何度もあのマジックアワーがフラッシュバックする。「記憶や思い出は、”やって来る”ものなんだよ。ヒンディー語ではそう言うんだ」と喋る私。聞いているのかどうかわからない彼。
思い出した顔と付随する記憶を脇に置いて、数年前と違う人に連絡することを「成長」と呼びたい。縋りつこうとする子供を抱きしめなかったことが、意味ある行為だったと思えるように。万物は須く流転するのだと、これから先も信じて生きていく。それしかできないのだ。大人になるのが早すぎてしまった私たちには。
スーパーから出ると、虹はとっくに消えて暗くなった空が広がっていた。帰宅したら、中途半端に開けてしまったビールで煮込み料理を作ろう。きっと私なら美味しく調理できるはずだ。

