その巨大な植物に気がついたのは4月13日、今日の朝のことだった。草なのか木なのかわからない、ひょろりと背の高い植物がキャンパスの生垣の向こうに生えている。ネギボウズのような花の形をしていた。似たような花は道端で見たこともあった気がするけれど、あそこまで背が高いものは初めてだ。興味をそそられた、けれど近づいて確かめてやろうとまでは思わなかった。始業時間が迫っていたし、根元に近づくために生垣をかき分けようという情熱もない。遠巻きに写真を撮ることさえしなかった。周りを歩く人が誰も立ち止まらず、巨大植物など見向きもせずに前方へ進んでいくのは、私にしかこれが見えていないからではないかしらと思った。そうだったらいいな、それなら面白いのにな。夢想しながら所定の部屋に到着して所定の机に座り所定の動作で業務を開始した。
部屋に入る直前、廊下に散乱したビニール傘がなんだか面白くて写真を撮った。廊下に誰もいないことを確認して素早くスマホを構えたはずなのに、シャッターを切った瞬間に、斜め向かいの部屋の前に男性が立っていたことに気がついて気まずくなる。「カシャッ」というシャッター音がやけに大きく響いた。恥ずかしいような居たたまれないような気持ち。ZINEを作ったことでようやく克服したかのように思えた「自分の感性」の提示の恥ずかしさやその批判に対する怯え、要するに自意識の過剰さは、だけど相変わらず私の頭の片隅に存在していて、ふとした瞬間に顔を出す。この人は何の写真を撮っているんだろう、という不思議そうな男性の表情に冷たいものが混じっている気がする、いやそれは妄想だ、他人は私にそんなに興味をもっていない、でもどうしても恥ずかしい、そして、怖い。無表情で部屋に入り、深呼吸をして落ち着きを取り戻した。そりゃそうだ、何十年もこの苦しさと共存してきたのだから、ちょっとやそっとで完全になくなるものじゃない。さっきの植物もやっぱり写真を撮らなくてよかった。そう思う一方でうずうずもした。
扉の外に置かれたポストに郵便物が入っていないか、確かめるために再び部屋から外に出ると、そのポストの上にちょこんとアルコール消毒液が置かれていた。ラベルにはこの研究室の名前が書いてある。「入室前のアルコール消毒にご協力ください、〇〇研究室」と書かれたそのラベルは、確かに4年前に私が作ったものだった。設置した翌年に姿を消したアルコール消毒液。誰かが間違えて持って行ってしまったのだろうか、と当時すぐに近隣の研究室に聞いて回ったけれど出てこなかった。それが、なぜ今さらここに?
今日は朝から不思議なことがよく起こる。春だな、と思った。見たことのない巨大植物、誰もいないと思った廊下に立っていた男性、消えたはずのアルコール消毒液。それぞれに不思議じゃない理由はあって、例えば刈りそびれた雑草が春先の雨でぐんぐん育つことはありえるし、白色の服を着た男性が壁と同化して見えたのもよくあること。消毒液だって年度末の大掃除で発見されて戻ってきただけかもしれない。だけどそれらを不思議だと思いたいのは、春だから。春は不思議なことが起こっても仕方ない。新しい季節には、今までと違う新しい何かが起きる。そういうものなんだ。
だから、やっぱりあとで巨大植物の写真を撮りに行こう。新しい季節に、今までと違ったことをしてみるのも悪くない。だって春だから。それは仕方ないことなのです。


