痩せたなあとは思っていたけど、改めてそれを「不幸痩せだよ」と言われると胸がグッと苦しくなった。その不幸はどこから始まってしまったんだろな。決して誰のことも責めないようにへらへらと冗談を繰り出し笑いながら、選びようがない、仕方がない、と話を締める癖がそれを連れてきたのか。
愛ってなんだろうなとつくづく思った。愛することって、その人の健やかさや幸せを想うことではないのかなあ。愛のない家庭だからという話をどこまで真に受けたらいいのか、わからなくて私もへらへらと笑った。夫になった男性を愛せない、親愛の情はあるけど愛ではなかったと気づいた瞬間から一緒にいることができなくなって離婚を選んだバツイチの私は、愛がないという状況下でそれでも一緒に暮らすことを志向する人の気持ちをちゃんとは理解できない。そういうものなのだ、と言われても。あなたは青い。その指摘は当たっていると思う。
家庭は一つの宇宙のようだ。今あるこの宇宙で暮らす私には、よその宇宙のことがわからない。同じ地球の別の国なら文化や言語を学べばなんとかなりそうだけど、遠い別の宇宙についてはどんな生命体がいるのかやどんなコミュニケーション手段があるのかさえも謎で、本当に何もわからない。わからないことにはジャッジを下さない。だから、愛はないと言いきりながらその家に帰ることは別におかしいことでも悪いことでもないのだと思う。ただ、私の宇宙だったら、同じ星にいる者同士のコミュニケートが機能不全に陥ってしまったら孤独を味わうかもと思った。それは私の宇宙の常識の話で、これを勝手に他者の宇宙に当てはめるのは傲慢というか、良くない気がして、じっと黙る。同情や憐憫は見下しの感情に近いものがあるから、なるべく意識したくない。でもやっぱり考えてしまう。孤独感に目をつむり耐え忍んで生きることもあるだろうけど、別の宇宙に思いを馳せて宇宙船を飛ばしてしまう気持ちもわかるなあと。
タクシー乗り場のロータリー付近でばいばいしながら、何度も後ろを振り返る人。ときどきあるこのお別れの風景が今日はより切なく見えた。これ以上体重が減りませんように、健やかでありますように、どうかゆっくり眠れますように。祈りながら歩いた。
