2026.03.16.Mon

Diary

昼過ぎにゆっくり起床。起きてからまず確定申告の書類を全て印刷し、支度をして郵便局へ。毎年この時期には「今度こそ先延ばししないで余裕を持って作業するぞ」と誓うのに、一年後にはすっかり忘れて、結局いつも〆切当日に郵便局へ駆け込んでいる。今年も例に漏れず「来年こそは」と誓った。

土日のウルトラウォークでぶちぶちに切れた筋繊維たちが肉を欲している。というわけで今日はお昼からステーキを食べることにした。ちょうど確定申告も終わったし、その労いも込めて。

西荻窪か吉祥寺かで少し迷ってから、改めて吉祥寺のステーキハウス「Hero’s」へ。ステーキとハンバーグのじゅわじゅわな肉汁が体に染み渡る、とっても美味しいお昼ご飯だった。

ジムでの運動前にカフェに立ち寄って、手帳や日記を書きながら諸々の考えごとをした。

自分の感情に寄り添って自分を大切に過ごすことと、自分の感情を大事にするだけでなくそれを押し通そうとしたり他者に認めさせようとすることの、微妙な違いについて言語化したいけど、まだうまくいかない。今の私はトラブルに巻き込まれていることもあって、どうしても後者を責めたり批判したりするような文章になってしまう。

私は自分の言葉を、人を攻撃するために使いたくないし、使わないと決めている。だからこういう精神状態の時にはなおさら慎重になる。

とはいえ、読んだ人が”結果として傷つく”ということはいつだって起こりうる。人の内面にはその人独自のフィルターが存在していて、そのフィルターを通して他人の言葉を解釈しているからだ。私の言葉がどう解釈されるのか、できるかぎり語弊がないようにと言葉を紡ぐけれど、それでも世界70億人の誰もが傷つかない文章を書くことは私にはできないと思う(し、そんな文章を書きたいとそもそも思ってない)。

私は他人の持っているフィルターや解釈に対して責任を負うことはできない。私にできるのは、自分の考えや感じたことを素直に書くこと。私なりの解釈やフィルターを通して捉えている世界や感覚についてを丁寧に言語化すること。読む人にもまたその人なりの世界の見え方がある。誤解でも間違いでもなく、世界にはいろんな人のいろんな解釈や見え方が存在するのだから、別にそれで構わないんだ。

だからまあ、結果として傷つく人がいるだろうことは理解した上で、私は日々文章を書いている。ただ、そのことと特定の何かを攻撃する意図を込めて文章を書くことは全く別の話なのだ。

最近のトラブルで一番傷つけられたのは、自分の文章に関する誇りだった。書いてもいないことを「書いている」「誇示している」と言われることはとても悲しいし悔しい。悩むことも増えた。

同じように私も言葉でやり返すか?!と思うこともあったけれど、「ダサいことはしたくない」というプライドが勝って踏みとどまった。戦うのも傷つけるのもうんざりだ。憎悪は連鎖する。そんなものに加担したくない。

私は他人を許せる人でありたい。

昔、似たようなことがあった。離婚したばかりの頃、「俺がうまく説明しておくからお前はしばらく西荻で飲むな」と元夫に言われ、黙っていたら、いつのまにか私の知らない離婚理由が語られていたらしい。

そのときもひどく悲しくて悔しかったけれど、母に相談したら「その言葉を信じる人はどうせ貴女のことを見ていない。胸を張って生きていればいい、見ている人はちゃんと見ているし理解してくれる」と返ってきた。

結果としてはその通りで、西荻窪の人たちは、というか、飲み屋でいろんな人間に出会ってきている人たちは、ちゃんと人を見る目があるのだと思う。

だから私は今までと変わらず、自分の心に正直に生きていこうと思う。ダサいと思うこと、自分を嫌いになりそうなこと、やりたくないことは、やらない。

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